コロナが流行して約1年半。多くの人は「コロナで社会は大きく変わってしまった」と口にします。
それも事実ではありますが、コロナは「今まで見えてこなかった社会の歪みを表面化する」時期であったとも言えます。コロナが引き金となり、今までは見えてこなかった社会の苦しい現状や、社会的な暴力がたくさん浮かび上がってきました。
そして、その歪みを目にするたび、私たちは不安や違和感を感じます。
こうした違和感や不安はとてもネガティブなものに思われがちですが、今回のゲストゆりあさんはその「不安」や「違和感」こそ、自分の新しい世界を広げるきっかけになるのではないかと話します。
社会への違和感をきっかけに休学したゆりあさん。
違和感と向き合った先に見えたメッセージと可能性とは?
<ゆりあさんプロフィール>
・村岡ゆりあ
・趣味/好きなこと:音楽セッション、武道、旅、スケッチ、空や海の移ろいを眺めること、巨樹ハグ、2355
・最近考えていること、興味関心など:お茶、場の教育、絵本、菌と生態、アジアの島、CSA、日本画、イサムノグチ
漠然と抱えていた社会の歪みへの違和感。それを確かめたくて休学へ。
ーゆりあさん今日はよろしくお願いします!早速ですが、ゆりあさんが休学した理由を教えてください。
「日本」を外からちゃんと見てみたいと思ったからです。
私は大学で教育学を軸に勉強していました。
日本の教育分野では残念ながら、ブラック校則や偏差値偏重、いじめや教員の過重労働など、深刻な問題が多くあります。
学んでいくと、そうした問題が教育領域を超えて、日本社会に渦巻いている構造的暴力や歪みとも深く関係していることが見えてきて、スケールの大きな課題感を持ちました。
だけど、その社会の内側にいると、課題が近すぎて逆に見えず、混沌としていたので、一度外から客観的・相対的に日本を見て、社会に対する違和感や自分の価値観を再考したいと思いました。
ー社会に対する違和感は具体的にどういうところに感じていましたか?
例えば、ライフコースの選択肢が少なすぎると感じていました。
私が留学を考え始めたのは3年生の秋学期でしたが、その頃は就職活動が活発化してくる時期でした。
卒業後の進路を考える時、一般的な選択肢は間をおかず「就職」か「大学院進学」、その2つしかありません。
焦り、精神的健康を崩す友人もいる中で、その“当たり前“は、本当にいいのかな?と。
休学を決めたのは、そうして社会に生き方の選択肢を増やしたいと思いながら、自分は限られた選択肢の中で進路を決めようとして、その矛盾に苦しさを感じていたという背景もあります。
社会に選択肢を増やそうとする前に、まずは自分が自分を生きる上での選択肢を広げてみようと思ったんです。
ーなるほど…。4年生の秋学期から1年間休学していますが、休学を決めた時の周りの反応はどうでしたか?
両親や友人からは大きな反対はありませんでした。ただ、卒業が1年遅れることで同期と離れてしまう感覚はありました。多くの友人はそのまま就職をして働く予定だったので、私だけ違う道に別れてしまった気がして、少し寂しかったですね。
ー確かに。1年遅れるってすごく小さなことだけど、実行する人は少ないので、自分だけ取り残される感覚になりますよね。ゆりあさん自身は休学に抵抗感はありましたか?
ありました。今までは大学受験含め“普通”のスピードで人生が進んでいた中で、1年休学することは太く安定したレールから降りる感覚でした。「1年みんなよりも遅れる」ということが、どういうことを意味するのかわからなくて、漠然とした恐怖感がありました。今ではどうってことないよ!って思うんですけど。
ー抵抗感がありながらもなぜ休学に踏み切れたんでしょう?
なんだかんだと言いつつも、自分の心が一番求めているのが何か、明確にわかっていたからだと思います。そして、それは外に飛び出してみることだった。具体的にどうすればいいのかわからないことも多かったけれど、自分が明確に強く求めていることに素直に飛び込んでみようと思ったんです。
留学で見えた違和感の結晶と、教育の見えない力
ー休学中は何をされていましたか?
ロンドンの大学に1年通いました。
大学の休暇があるたびに、デンマークのエコビレッジに行ったり、フォルケホイスコーレにもぐりこんだり、ヨーロッパ各国のオルタナティブスクールを見学したりしていました。
大学修了後は日系企業の欧州支社でインターンを3か月ほどして、また1か月デンマークに寄り道して(笑)、帰ってきました。
ー何度もデンマークを訪れていますが、デンマークに留学するという選択肢はなかったんですか?
すごくありました!(笑)。
教育学を勉強する中で、やっぱりデンマークやフィンランドの教育実践や文化にとても興味を持っていたので、留学したいと思っていました。
でも、私は民間の奨学金プログラムで留学していて、そのプログラムでは留学先が「ヨーロッパならロンドン」と指定されていたんです。
また当時、私はまだ海外に行ったことがなく、「これが最初で最後の海外渡航になるかもしれない」と思っていました(笑)。
だったら、このチャンスに興味のあるところをとにかく見てみようと思い、結局ヨーロッパ内外へのアクセスもいいロンドンを選びました。
―留学が初海外だったんですね!留学中に印象的だった出来事はありますか?
たくさんあって、語り尽くせないですが…(笑)。
個人的にすごく衝撃だったことの1つは、イギリスのオルタナティブスクールで行われていた会議の様子です。私が訪問した時には、ちょうど学校全体で会議が行われていて、そのテーマは「新しい教員候補として来ていた先生を採用するか否か?」でした。
そんな学校運営に重要なテーマを、校長と6歳の児童が同じ1票をもって議論していたんです。その関係性自体も衝撃的ですよね。
でももっと驚いたのは、その会議のプロセスで。
最初はスムーズに採用の方向性で進んでいたのですが、途中で6歳の児童が「僕はその先生のことが怖かった。」と発言したら、それをきっかけに議論の流れが変わって、最終的には「不採用」に決定したんです。
―え!不採用になったんですか!?
そう。その空気感が本当に感動的でした。話の流れに流されず、自分の意見を表明することが出来る6歳の児童にも驚いたし、その意見をちゃんと尊重して議論が大きく変化していく様子もすごかった。みんな寝転んだり、お茶を飲んだりリラックスして参加しているけれど、その空間はコミットメントに満ちていて、先生も生徒も本当に対等でした。お互いが歩み寄っていく議論はこういう教育現場から培われていくんだと体感しましたね。
―日本ではあまり見られない光景ですね…。ゆりあさんは社会への違和感を見つめたいと留学していましたが、その違和感に変化はありましたか?
漠然とした違和感はより鮮明になりましたね。
例えば、留学前は「日本社会」という粗いくくり方をしていましたが、それ自体が非常に無理のあることだと感じるようになりました。
私は東京生まれ東京育ちの若者で、意識しないと「東京=日本」、「現代社会=日本」というものさしで考えてしまいそうになります。でも、実際は都市/郊外/農村、また世代によっても生きている世界はまるで違う。
私が問題だと感じるものも、誰かにとっての解決策だったかもしれないんですよね。
どの違和感もより解像度を上げて、また自分の立場性に注意しながら見つめるようになりました。
その上でやはり広く課題だなぁと思うのは、集団的な意思決定の時に大事なプロセスを有耶無耶にしがちなところです。異なるもの同士がなんとなく調和できる強みと表裏一体ではあるのですが、個々の身体や心の声を抑圧すると集団も病的になりますよね。対極的な文化をもつイギリス・デンマークで生活や教育実践を体験したことで、文化の善し悪しを多面的にで発見でき、「より良い在り方」を総合的に描けるようになった気がします。
自分の違和感を大切に。それはあなたにしか受け取れないメッセージだから。
―休学をしている人の中では、復学した後に苦しむケースもよく耳にします。ゆりあさんは復学後どうでしたか?
休学期間に自分が大きく変化したので、復学しても休学前に不安に思っていたようなことは自分の中でさほど重要でなくなりました。例えば、同期や友人とライフコースが別れても、また重ねるべき時には重ねられるだろうと思えたり。休学しないと出会えなかったような多様な友人もできて、将来の選択がたくさん見えて、自分の選択をより広く長い視点から見ることが出来るようになりました。いわゆる「就活」にコミット出来なくなりましたが(笑)、結果的に人生は豊かになったと思っています。
―自分の選択肢が広がったゆりあさんですが、卒業された今は何をしていますか?
今は大学院生をしています。将来の選択肢は豊かに見えてきたものの、今度はどれにも飛び込めない自分がいて。「これだ!」みたいな確信に至らない一方で、卒業研究でお世話になっていた先生の存在は自分にとって確かなものでした。この先生から、学術的にも人生的にももっと学びたいと思ったので、その先生の研究室に進学を決めました。
ーちゃんと迷い続けたからこそ、ちゃんと自分で選んだと実感できる選択をされたんですね。今まで休学経験を振り返ってきましたが、最後に休学を迷っている人にメッセージをお願いします。
「本当に自分が大事だと気づいていることがあるのなら、そこから一歩踏み出せば、どんどん世界は開いていくから安心して。」かな。
ーすごく素敵ですね。
ありがとうございます。自分が求めていることや心惹かれていることって、その時点ですごく貴重だと思うんです。だって、世界にはたくさんのメッセージが発せられている中で、その人だったから受け止めたことがあるはずだから。その感性や視点はその人にしかないものだと思います。かつ、その集まったメッセージの先には必ず誰か何かがあるから、素直に飛び込んだほうが楽しいよ!って思います(笑)
ーやっぱりその人に見えない景色だからこそ、そこから生まれる考えはすごく貴重ですよね。休学はそれをちゃんと形に出来る時間なのかもしれません。ゆりあさん今日は素敵な時間をありがとうございました!
こちらこそ、ありがとうございました。
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